Hi! I'm Ryugou

私の経歴
私は、一塊のサラリーマン【証券会社】を30年を務めた平凡な親父でもあります。現在は、家族3人で平々凡々な生活をしています。
私が14歳の時に、禅宗の道場で修行をしたり、19歳の時にはキリスト教を勉強するためにプロテスタントの教会に2年間熱心に通っていたり、インドの宗教、ラーマルリシュナ、ハレークリシュナ、バクワンシュリラジニーシに凝ったりして放浪的な宗教行脚を約13年間を過ごして参りました。完全なる迷える羊でした。
転機が起こったのは、27歳の時、私が結婚1年の新婚生活を楽しく過ごして折に、たまたま、尼崎の大衆銭湯で柔道部の先輩の野田先輩とよく銭湯で会って色々な話題のお喋りをしていました。
その時にも野田さんのお父上様も一緒によく銭湯に来ていました。
このお父上様が、なにを言おう市井の聖人、神道、仏道の修行者で特に古神道の行者でありました。
それをきっかけに、私は神道の滝修行に没頭することになりました。
先代の野田真恭先生の教えは、
滝修行を中心に古神道の荒行を通じて自分の奥底に秘めた、霊人としての自覚を体験させて、修行力の霊行力を持って先祖霊に相対する修行でした。【鎮魂帰神の一種】
古神道は、先祖霊が現在の生きている人の影響を与えていることを自覚させることが尊い使命と考えています。
先ずは、先祖代々の霊を成仏させる為に心血を注ぐ事が大切になります。
滝行とは別に
1年を通して関西の霊山にひと月に一回は霊修行に行きました。【三輪山、鞍馬山、伏見稲荷、大峰山】
特に、寒行を兼ねての霊山の修行は大そうなものでした。常人では成し得ない修行を重ねて参りました。
拙い私事ですが、10年間の滝行の結果、カムナガラの道が自感自得されて、ほとんどの宗教が形骸化の教義しか勉強していない現状を自得でき、日本人の古来の神道の修行方法が本当に素晴らしいのが分かりました。
現在、私は、64歳の初老を過ぎつつありますが、天竜道場の先代の野田真恭先生、それと息子さんの野田先輩もお亡くなりになられました。
2021年度の11月に、私は、約27年ぶりに天竜道場で滝行をしたいと衝動的に気持ちに襲われ、天竜道場に赴きました。すでに天竜道場が無くなっておりました。そこで野田先輩がお亡くなりになったことを野田先輩の奥様からお聞きいたしました。
不思議なことに、野田先輩が逝去されたのは、2017年度の11月にだそうです。
神仏のお導きにより、私が野田先輩の奥様の自宅にお邪魔したのも11月でした。野田真恭先生、野田先輩のお導きかと思われて仕方がありません。
これからの滝修行は私のライフワークで、できるだけ多くの人に素晴らしい滝行を伝承して、日本人の大切な代々の先祖様のお供養を通じて、自分が死した時に先祖様にお迎えを頂きくことを夢にみて滝行をしましょう。
これからの人生を謳歌される若い人達は、人生は吉凶縄の如く色々と出来事がある中、大難は小難に、小難は無難に過ごすために、ご先祖様の供養を通じての滝行を実践していくことを祈ります。
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プロフィール
龍郷 誠一郎
1957年度、8月20日に大阪で生誕
家系は、龍郷家は先祖代々、岡山県出身で剣道一家の血筋である。
私の父親は
龍郷晃は剣道範士8段で、関西学院大学の剣道部を創設者でもあり、北辰一刀流の免許皆伝者でもあります。
お爺さんの龍郷薫は日本武道専門学校の師範と教授をしていました。
日本の陸軍に教えに行っていました。
龍郷家の古い先祖は、岡山城の剣道指南役でもありました。
純粋な武士道の家系です。
霊統【遺伝子】
なぜこのように家系に拘泥することを申し挙げますと、人も同じで蛙の子は蛙であります。トンビが鷹を産まないのであります。
これまで生きてきた本人の人生の紆余曲線は、
自分の家系の先祖の霊統が幸不幸のすべてが根本問題に含んでいます。滝行の修行を通じて自分の関わりのある現実の世界と環境を垣間見て、現実の世界の自分でありながら、霊人としての先祖の霊統であることを自覚して、先祖と共に自己を修正していくのが修行の眼目でもあります。【同行二人】
霊界と現界は写しの世界です。つまり裏があるので表が有ります。
私達は霊界からの転生であります。【複雑で簡単に説明ができません。】
裏の世界を浄化をするのには、自分の身体をもって、滝行で六根清浄をしていくことによって、自分のこれからの人生を自覚的に生きることに繋がります。【私と先祖霊の成仏に繋がります。】
裏の先祖の世界を浄化して、表の世界に反映できるのが神道であります。
古神道修行とは
現在、私は、滝行を中心とした修行が古神道の源泉であると考えています。
現世の身体を持ち滝行によって霊性を開発をする手段がカムナガラの修行であります。
古神道は一種の精霊信仰で自然崇拝が本質で、すべての神の偏在を観るもので、山も川も海も神であり、太陽も月も北極星も神である。風も雷も神であり、季節も時間も神である。その原初の姿、原初の姿は四種に集約される。
神奈備【かんなび】 神籬【ひもろぎ】 磐座【いわくら】 孁【ひ】である。これが古神道の本来の姿である。
【かんなび】は、神名火、加武奈備などとも書く。いずれも神隠の意味で、神の居る山、すなわち神体山として崇敬、信仰されるものをいう。
神道信仰は三輪山と大神神社、白山と白山比咩神社等、大神神社は三輪山そのものを御神体として、神社に本殿を設けず、拝殿のみという形のものもある。
我が天竜の滝場も、六甲山脈の神奈備として六甲山を御神体として六甲山の清流を本流として五体の身体を禊ぎの行場と神聖な神奈備としています。
【ひもろぎ】は、神籬、霊諸木などとも書く。神の依代たる森や樹木をいう。神の住まいたる場所、降臨する場所、鎮守の森の原型である。
天竜の滝場も、樹木に囲まれた場所であります。
【いわくら】は、磐座、磐境、巨石のことで、それ自体が神の依代である。いわゆるストーンサークルで石で結界を作り出しているのである。
天竜の滝場も巨石に囲まれています。
【ひ】孁、日、火、などとも書き、太陽信仰である。精霊が孁である。
太陽は光を発するものであり、光の信仰で、光を集めて火を生み出すことから火の信仰と呼ばれる。
精霊が八百万の神である。
古神道の本来の姿は、神奈備【かむなび】神籬【ひもろぎ】磐座【いわくら】孁【ひ】が古神道の本源で、陰陽道の【四神】なのである。
天竜の滝場は、
古神道の滝行で、この全ての環境が整って初めて霊人としての修行ができるのである。私共の修行は、鎮魂と浄化を持って修行の核となす。
惟神の道とは神ながらに生きていく道で、神の在り方にならって生きていくという意味です。【神ならいの道】と呼ばれています。
自らの内に魂【直霊】という神座があって、自らが神であるという自覚のもとで修行をしてこそ、その場の神々の霊威と響き合うことができるのです。
さらに言えば、本来は神そのものを我として、その直霊の霊と神の霊威がお互いに照らし合い祈り合うことこそが、神人和楽の惟神の道の在り様なのです。
神を拝むだけで神に依存する我よりも、神様から弥栄の為に働いてくれよ、神さまに拝まれる我になることが惟神の道であります。
【この滝行によって自分の現世に如何に反映させるかが修行の目的である。】